代表挨拶~保田くんの歩み~

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代表挨拶~保田くんの歩み~

コンクリート系男子 ホタコン代表:ホタくん

高校時代 部活動の仲間と共に目標に向かう日々

地元では有名な進学高校に進んだ私。
そこで私はラグビー部に入部し、毎日毎日仲間と厳しくも楽しい部活に励んでいました。 
もちろん部活の練習は体力をかなり消耗するので、授業中はついついうとうとしてしまい。。。(笑)  それでも部活の仲間と一緒に同じ目標に向かって練習する毎日が楽しくて楽しくて。
そんな日々を過ごしていたら、気づいた時には受験の季節に!なんと!浪人決定!

浪人時代 自分との戦いの日々

焦った私は進学塾に入塾し、寮に入って今度は勉強に明け暮れる日々を過ごすのでした。
その寮は20時で消灯だったので、20時からはもう勉強するしかないんですよね。
自分を追い込み、何とか大学への進学を決めました。 この時、何故か私は浪人生らしい風貌を求めて、長髪にしていました(笑)

大学時代 ピンチを乗り越える

大学生になり、応援団に入団。お酒を知り、今度は仲間と楽しい時間を過ごす日々を楽しんでいました。
そして大学4年生の時に今の妻との出会いがありました。
応援団の仲間に、大切な彼女に、幸せな日々が続くかと思いきや…またもや事件が勃発するのです。
そう、授業をさぼってしまい留年した上に、就職浪人になってしまったのです。
彼女とは結婚を考えていましたし、このような状態では向こうの親に顔がたたないと、就職先を見つけるべく急いで大企業展に足を運んだことを今でもすぐ思い出せます(笑)

就職先は酒類卸問屋。ここで営業の仕事をすることになりました。お酒が好きだったので、かなりお酒の勉強をしました。
無事就職できたことで、妻と結婚することもでき、サラリーマンとしての日々を過ごしていました。

決意 営業から土建屋への転職

そんな妻の父は土建屋を経営しており、3人姉妹の妻の家では継ぐ人がいないという話を度々聞いていました。
でもそのような中で私に対し、決して「継いでほしい」と無理強いをすることはありませんでした。
でも私はいつもそのことが心にひっかかっていました。
そんな時今まで気付きあげてきた元請さんや下請けさん、仲間との関係を続けていってくれたらなぁというような義父の本音を聞き…さらに、義父が病気を患い、体力に自信がなくなってきている様子を目の当たりにした時、私は会社を辞める決意をし、妻の父の会社を、妻の父を手伝うことにしました。

右も左もわからず怒鳴られる日々でも揺るぎない「目的」があったから

妻の父の会社は「山田コンクリート工業株式会社」という会社名で妻の父の父(義祖父)の代から続く歴史ある会社。
もともとは万代塀といって工場を囲う塀の製造と施工(未だに街に残っていますね)を主としている会社でした。

時代と共に万代塀はブロックに取って代わり、二代目社長(義父)が役所仕事を始め、年数を重ねると共に成長し続けてきた会社でした。
二代目は、元請の要望には何でも応え「困った時の山コン」と言われるほどだったそうです。

義祖父や義父が大切に築き上げてきた会社。
この会社を義祖父・義父の想いをどうにか引き継げないかという想いで、がむしゃらに勉強しました。
営業マンから土方の仕事への転職。しかも突然下請けの業者さんの中で働くことに。
この仕事のギャップにさすがの私も最初は戸惑いました。
「帽子持ってこい」と言われて帽子を探していたら「違う!ヘルメットのことだ!」と怒鳴られたり(笑)業界では当たり前の言葉が全くわからない状態の中スコップもって一輪車で運んで。右も左もわからず、親方にボコスカに怒鳴られることが日常茶飯事でした。
でも上下関係の厳しさや目的を達成する為の厳しさは、高校のラグビーだったり大学の応援団だったりの経験が生き、決して苦にはなりませんでした。
私には揺るぎない「目的」がありました。
その後3ヵ月で山田コンクリートに戻ることになり、現場周りや見積もり作成等、営業としての仕事の流れを学びました。

歴史ある会社の想いを引き継ぐということ

そんなある日、義父が倒れました。
それまでもひたすら頑張ってやってきましたが自分が動かなければどうにもならない状況に立った時、山田コンクリートに関わる人達ともより深く繋がれた気がしますし、より人の温かみを知り、一歩踏み出せる環境に立つことができました。

ー山田コンクリートに関わる全ての人達の想いを繋いでいこう。

山田コンクリートは義父の会社。
その意思を継いだ会社、「ホタコン」として独立しました。
自分でやるようになって1年2年は正直お金の面で苦しい思いばかりしてきました。

経営を自分でやるようになって右も左もわからぬまま突っ走ってきて、毎日がプレッシャーとの戦いでしたね。辛いことも苦しいことも沢山ありましたが、幾度と無く義父に助けられ、でもいつまでも頼っていてはいかないな、と思い、また自分の足で立とうと決意し、の繰り返し。

職人さんや元請けさんとの繋がりも、助け、助けられの関係で。
お客さんと話しているのが好きと感じるのも、人と人との繋がりを感じられるからこそ。
沢山の人と顔を合わせ協力しあう、この仕事が好きでたまりません。
1人じゃできないことばかりだから、みんなで協力し合って努力して、そしてうまくいった時の幸せな気持ちは何にも変えられない素晴らしいものだといつも感じています。

こうして今の自分があるのも全て縁があってのこと

そういえば中1の時には1か月アイダホでホームステイをしたり、大学2年の時にはオレゴン州にバックパッキングしたり、ベトナムにワークキャンプで2週間、そのまま1週間延長で現地の人に助けてもらったり、突然1人になりたくなって北海道まで片道料金しか持たずに行って向こうで稼ぎながら向こうの大学の応援団の人に助けられ、仕事を紹介してもらったり…

本当にいつも、どこへいっても助けられて生きてきました。
結局1人ではいられない性質で(笑)

人が集まるところに行ってみたりするのが好きで、人と会って自分は成長してきました。
高校の部活も大学の応援団も全て理由があったんだと、今になって深く思います。
今仕事が楽しいのも新しい人との繋がりがどんどん出来ていくところですかね。
やはり、人は人無しにいきていけない。人がまた、新たな出会いを呼んでくれる…。
これからも人を大切に、人と人との繋がりを大切に、自分に関わっていただいた方たちに恩返しができたらと努力をし続けて参ります。

保田 隼希

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